「民主主義は面倒くさいんですよ」と言ったのは、湯浅誠さん?
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2012年11月 民主主義の"面倒くささ"を引き受けていきたい 湯浅誠さん←オススメ

うん。面倒くさいんですよ、民主主義は。人生と同じで。
政治も人生も、良くしたければ一歩一歩コツコツやるしかない。
えいやっとやって、ガバッと、一気に変えられるもんじゃないですよ。
水虫を治すように、気長に根気強くやるしかない。
けれど、良くしたいという思い。このままではダメだという気持ち。
継続するのは、難しい。

人は、悪いことも続くと慣れちゃう生き物だからです。

それでも、慣れてはいけないと自分を戒めなければ。
おかしい事はおかしいと言い続けなければ、何も変えられない。

民主主義も最後は自分との戦いかもね。やっぱり人生と同じみたい。


朝日新聞 25日 「慣れてはならぬことには慣れない」 日々の小さな抵抗

後半を引用
 どんな異様な事態にも人は慣れてしまうものだという。「人は絞首台にも慣れる」という言葉があるのを、哲学者の鷲田清一さんの著述に教わった。

 その言葉をいま言い換えるなら「人はトランプにも慣れる」だろうか。

 大統領当選の衝撃は大きかった。就任してからの、ありえない虚言や暴言、独善、敵視、人権軽視など数々を、はじめは怒ったり難じたりしていたが、今ではそれが当たり前になってしまい、知らぬ間に慣らされてしまった自分がいる。

 「安倍政治」にも同じような感じがある。自己都合を大義にみせかける政権運営、国会すなわち国民軽視、官僚の文書改ざんや虚言、放言……。繰り返される横着や不実に「またか」と弛緩(しかん)してしまっている自分に気づくことがある。

 世界各地で分断が進み、民主主義は後退しているという。意見や立場を異にする者が、それでも肩を組んで歩こうという民主主義は、壊れやすい人類の発明品だ。沖縄への理不尽もそうだが、慣れてはならぬことには慣れないことを、日々のささやかな抵抗にしたいと思う。その大切さを、歴史は小声で語っている。

どうもね、日本のメディアは「慣れてはならぬことに慣れちゃった」んかな。
おかしい事をおかしいと、言わないんですよね。


単に、強行採決したということでは無いんですよ。
空っぽの法案を数の力で成立させ、中身は後で省令で決める。アベ政権はそんな手法を続ける。
省令だと、国民のチェックが入らない。好き勝手決められる。
これはもう、民主主義ではありません。

いい加減メディアは、「アベ政権は民主主義を叩き壊している」とはっきり言うべきでしょ。
言わなけりゃ、メディアの意味ないよ。